美山公園相馬御風歌碑

相馬御風は糸魚川出身で
早稲田大学の校歌「都の西北」や、童謡「春よこい」を作詞した歌人です。

美山公園の「歌碑」はどこにありますか?と
よく聞かれる方がいるそうなので、ご紹介しますね。

美山公園の貯水タンク(展望台)の駐車場に入らず直進します。
すぐに右手に広場と東屋が見えてきます。
車が数台停められるように少し広くなっているところに
写真のような柵と「御風歌碑入口」のプレートがあります。
右手にある青い屋根はトイレです。

広場と反対側からは、姫川沿いに広がる田園風景と
残雪の残る山並みが一望できるベンチが設置されています。

歌碑へ続く遊歩道を行くと
下に見える道路のわきにある桜が
名残惜しそうに咲いていました。
この日(2011年4月24日)は
ちょうど青空が広がり
はらはらと桜の花びらが舞っていました。

このあたりは
昔からの公園の面影があり
「美山公園と言えば、今のグラウンドゴルフ場があるところではなくて歌碑がある場所」という世代もあります。
かすかな記憶ですがちょっとした遊具(ブランコ?シーソー?)があったような気がします。
また、桜の木より松の木が多くて手前の展望台周辺より静かな雰囲気です。

小さな松ぼっくりがあちこちに落ちています。
遊歩道をまっすぐ行くと目の前に大きな歌碑が見えてきます。
これが「相馬御風の歌碑」ですね。
逆光で文字が全く分からなくてごめんなさい。
裏にまわってみると
「昭和二五年十一月 糸魚川町民建之」
そんなに歴史があるものだったのですね。
糸魚川町ということは
まだ近隣の村と合併する前です。

歌碑の左にまわると
姫川と今井地区の家並みが見下ろせます。
写真の左上、こんもりとした森は神社のあるあたりですね。
ここにも桜の木がまだ花をつけています。

右手をみると、道は続いています。
せっかくなので久しぶりにぐるりと歩いてみることにします。

左の小高い丘になっている方に進むと
ここにも何やら文字が書かれた石碑が。
正面には「御状机跡」
横には「文政十年丁亥七月既望」と彫られていました。
※六文字目が間違っているかもしれません
勉強不足で、まったく意味が分かりません。
この石碑の内容や歴史を知っている方がいたら、
ぜひコメントかメールで情報をお待ちしています。
隣には小さな祠があり
どなたかが榊をお供えしたようです。

ここから右手を見ると木の間には
日本海と明星セメントさんの大きな煙突が見えます。
空と海の境が分からないくらい
穏やかな海で、空が青い日でした。

どうやら、ここが一番奥になるようです。
足元にはたくさんのスミレも咲いています。

では、戻ることにしましょう。
大きな木に囲まれているので
日差しが優しく届き
暑い夏の日には涼しい場所になるのでしょうね。

最後に、もう一枚。
桜のむこうに雪の山並みが見えました。
新潟県は春ですが
隣の長野県白馬村では
25日に少しだけ雪が降ったのだとか。
今年は、もう一週間で4月が終わるというのに
思い出したように肌寒い日があります。
昼間は暖かくても夕方から冷え込みますので
上着を一枚もってお出かけください。

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美山公園相馬御風歌碑”へ2件のコメント

  1. Kどすえ〜 より:

    さっき 貰って来た古新聞を わんこ用に切り揃えていたら 記事の一部が見えて ハッと 思い出しましたよ
    2011年4月27日の美山公園の記事にあった【御牀几跡(おんしょうぎあと)】についての答えは
    →糸魚川藩の殿様が自分の目で領地を確かめた事を伝える為に建てられた
    …ださうです
    今年の8月29日の新聞の9面に 載っていました

    今度 持っていきますね〜 (^-^)/~~

  2. ALEX より:

    Kどすぇ~さん
    そうなんですよ、新潟日報の糸魚川支局の方が取材されたそうです。
    (石碑巡りのシリーズだったようです)
    地元でも知る人は少なく、誰が建てたかは不明なんだとか。
    ちょこっとだけしか記事を読んでいないので、いただけると嬉しいです。

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